4/29(火、祝)昨年新しく乃木坂に出来た
国立新美術館で開催中の
モディリアーニ展へ。
小学校の授業で初めてモディリアーニの絵(肖像画)に接した時、その傾いた頭部、細長い首、空洞のような目がなんだか妙に衝撃的だったことを覚えている。以来気になり出し、高校の時にモディリアーニの絵が「好き」だとはっきり自覚した。
今回のモディリアーニ展は、彼の創造の原点であるプリミティヴ美術(原始美術)の影響を色濃く残す初期の作品から、彼独特のあの有名な肖像画に至るまでの、幅広い作品を紹介しており、中には50年ぶりに公開された作品があったりと、とてもレアな作品が多いそうな。
展覧会場に足を踏み入れ、100年前の作品たちを前にすると、静かだけど力強い、なんとも言えない強烈な「流れ」が押し寄せて来て体中に沁み込んで来た。筆のタッチひとつひとつにモディリアーニの様々の想いが込められていると思うと、妙に感動してしまい熱いものがこみ上げて来て目頭が熱くなった。
もう一度行こう。
<左:今回の図録/右:1994年開催の素描画展覧会の図録(当時購入)>
4/30(水)昼休みに会社目の前の代官山テラス内
アートフロントグラフィックスで開催中の
山本晶展へ。
彼女とはクライミングを通して知り合った。そんなに頻繁に会ってはいないけど、この先もずっと続くであろう不思議なツナガリを感じる、とっても素敵な、大好きなお姉さんである。

彼女の作品展に伺ったのはこれが二回目であとは自宅で作品を少し見せてもらったことがあるだけだし、絵心もなく芸術に対して無礼漢なぱぴのこなので全くうまいこと言えないのだが、彼女の作品を前に浮かぶ言葉は「色」かな?控え目でもあり強烈でもある、彼女の作品であることが納得行くというか、鋭さを秘めた温かさを感じる。
私にとって最も身近な芸術家のひとりであり大好きな友達である彼女のますますの活躍を期待し応援して止まない。
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既に他界した100年近く前に生きた画家と、今この時、私と同じ時代を生きる画家、そんなふたりの作品に今回続けて接して、人間という生き物の不思議な欲求、衝動、本能の共通を想う。それら欲求、衝動、本能を同じ人間として私も持ち合わせていながらも、出口が全く違う。いや、私はそれらをちっとも活かせていない。その活かし方を追い求めること、それが生きるということなのかもしれない